爪噛みと自傷行為について
梅雨が来ましたが、
昔から雨が好きです。
雨音が聞こえると、心が落ち着きます。
今日は家でのんびりしたらいいよって、言われてるみたいです。
外に出なきゃいけない時は気が重いですが…
このブログを始めたからなのかは分からないですが、
自分の爪を噛むという癖と向き合うきっかけにはなっているみたいです。
本日の手がこちらです。
一ミリくらいですが、伸びています。
だいたい3日くらいでしょうか。
噛むのが自然とやめられています。
裸爪の状態でここまで伸ばせたのは人生で初めてです。
とはいえ、ブログを始めたから治った、というわけでもないです。
前回の記事でかなり落ち込んでいたんですが、
そこから自分をもう一度見つめ直してみました。
爪を噛む、という行為は一種の自傷行為でもあります。
自傷行為とは、文字通り自分を傷つけてしまう行為のことですが、
原因は心因的なものだと言われています。
わたしの爪噛みも、そうですね。
過去3回爪噛み克服に挑戦したときに、
爪を噛むのをやめると、
そのぶん身体(耳や首、肩)をひっかいたり、髪や毛を抜こうとしたり、ほかの箇所に現れるということに気づいたんです。
幼い頃に親に心配してほしくて、手をひっかきまくったことを覚えています。
私は長女で、昔から言いたいことを言えない不器用な子供でした。
きょうだいで怒られる時はまず私にゲンコツでした。
物心ついた頃にはすでに爪を噛んでいましたので、私にとって爪を噛むことは、ご飯を食べるくらい当然のことです。
なので、自傷行為と思ったことすらありませんでした。
小学校で爪噛みをしていたときにバイキン扱いされたことや、
ある程度の年齢になったときに父親から爪噛みは幼児性が強いからそんなことをするんだ、と怒鳴られたこと
そういうこともあり、爪を噛むのはみっともない、汚いことだという自覚がどこかではあり、
私は家族以外の人前では一切噛まないようになりました。
なので、人に心配してほしくてやっているわけじゃないんです。そういうのは関係なく、ただただ噛んでしまうのが止められない。
どちらかというと、
わたしの場合は『ストレス発散』『自罰行為』というのがしっくりきます。
なにか不安なことやイライラする出来事があるとき、またそれが予想されるとき、
私は昔から爪を噛むことで気持ちを落ち着けていたように思います。
とはいえ、人間誰でもイライラしたり不安になったりすることはあると思います。
すると、私は今度自分を責め始める癖があります。
なんで私はこんなにだめなんだろう、これもできない、あれもできない、
やらなきゃいけないのに、できない。
はやくはやく、
やらなきゃ、だれかに迷惑がかかるのに、私はだめな人間だ。
という考えが、無意識に、私のベースに深く刻まれているんです。
私は常に自分のことが信じられない、
常に自分自身を疑っている、
自分って、なんて不自然な人間なんだろう、
なんでこんなに人並みにできないんだろう、
と
思いながら生きてきたように思います。
自分で自分のことが、わからないという状態でした。
20代後半くらいから、自分のやりたいことを探してやり始め、ようやくすこしずつ自分のことがわかってきたような感じです。
でも自分を責める癖は相変わらずです。
今回、仕事や恋愛でどうしようもなく追い詰められてしまい、私はそれを自分のせいだと、無意識のうちにそう受け止めていました。
すべてがわたし一人の責任であることなんてことは、ないと思うんです。
わたしの生い立ちの話になってしまいますが、
昔から、期待されることが多かったです。
期待というより、周りは私に幸せな道を歩かせようと色々レールを敷いてくれました。
私は、疑うこともなく、敷かれたレールを進み、やがて脱線しました。
脱線してからもしばらくはまた元どおりレールに乗って、すこし走って今度はまたすぐ脱線して、
このレールをもう走りたくないと気づいたのは、だいぶ最近のことです。
周りの期待に応えなければ、
という焦燥感に常にかられていました。
周りの大人が喜ぶような答えを、
いつも選んで口にしていました。
私は、強がりなところがあります。
ひとりでいることも平気ですし、映画でも食事でも、旅行も一人で行けます。
でもきっとそれは、
ひとりでも自立した人間になりたい。
周りからちゃんとしてる人だと思われたい。
親が恥じないような、立派な大人になりたい。
ちゃんとした仕事に就いて、
はやく結婚して子供を産んで、親を安心させたい。
そんな気持ちの裏返しで、強がっていただけなのではないかと気づいたんです。
現実の私は真逆です。
理想と現実とのギャップ。
それが私が爪を噛む原因なのではと思いました。
いつのまにか自分の中に育っていた先入観や、こうでなければいけない、という固定観念、
そんなものが小さな頃から私を縛り付けていたのかもしれません。
それに気付いてからは、
できない自分がいても、責めなくていい、とすこし思えるようになりました。
できなくても、仕方がないことだ、
と。
それよりは、できたことに目を向けようと、すこしずつ意識を変えています。
夜はやく寝て、朝もちゃんと起きることができた。
化粧ができた。髪もセットできた。
事故も起こさず職場まで車でたどり着けた。
仕事もうまくできないこともあったけど、
よくできたこともあった。
何気ない生活ですが、できたことは当たり前になって、できない自分にばかり厳しかったなぁと自覚することができました。
いまは爪を伸ばすことができていますが、
このまま噛むことなく伸ばせればいいなぁと思っています。